中村富十郎父子勧進帳に挑む、ですよ。
そういえば日曜のETV特集は「弁慶の復活〜中村富十郎父子勧進帳に挑む〜」でした。
今年5月27日に歌舞伎座で行われた人間国宝・中村富十郎の自主公演「勧進帳」の裏側を取材したドキュメンタリー。
始めはどうかな?と思ったんだけど、見始めたら結局すいすいと最後まで見てしまった。
何と言っても中村富十郎の魅力だわね。まず踊りが上手いんだよな。私みたいな素人がちらと見ただけでも群を抜いてる。「人間」という生きもの自体を見るのが好きな人間には見てる気になる挙措動作なのだ。歌舞伎俳優って皆が皆、踊りが上手いってわけでもないからねぇ。さらに踊りだけじゃなく口跡もきれいだしね。さらにさらにこの方、80才になろうというのに、まだまだ情熱がふつふつと身体の中から湧いてくる、森の中の泉のような方なのだ。見てるだけでこっちも元気になってくる。それが無理して作ったものじゃないのがまた素晴らしいよね。だって、歌舞伎座の階段を上がるのに年相応に苦労してるんだよ、なのに、いったん扇を持てば、蝶々のような身の軽さ!優雅さ!…は〜〜…だよ。
勧進帳はなんといっても歌舞伎十八番、TVでは何度か見たことのある演目で、近いところだと団十郎親子のパリ・オペラ座公演もこれだった。あそこのお家芸だもんね。
さて、同じ演目を同じようにやっても印象は結構違う。団十郎の舞台はどこかクールな、場所柄もあるけど、スタイリッシュなもので(まあ、これは一種の切り込みだしね)、今回の父子の舞台は、ホットな微笑ましい舞台である。理由は…分かってる人は分かってる通り、80才の父が10才の息子に己の芸の芯(心・真)の一部でも伝えようと企画した自主公演、人間国宝が演出までこなしたうえで痛み止めの注射打ちつつ、かつての当たり役・弁慶を十数年ぶりに演じる舞台、その背中に、息子であり相伝の弟子でもあろう人への愛情が滲み、花道で感無量の姿からは、舞台と観客への感謝が、滲む。いやぁ、思わずこっちもほろりとしますぜ。「まだやれる!」と声がかかって客席に笑いが走ったけど、ホント、まだまだやれますよ、世辞でなく。でも、無理して欲しいわけでもないけど。
10才の義経は、まるで五月人形。愛らしく凛々しく、そのまま姿を映した博多人形でも作ればいいのに、と思う(つーか、今回のこの親子をモデルにした良い人形なら買うよ、私…値段にもよるけど…良いものは百万単位だったりするからなぁ)。家の芸と言うものは凄いものだなあ… 富樫は中村吉右衛門でした。脇にも名のある若手がついて、皆、この世界を愛してるんだなあ、と思う。そういう世界で食って行ける幸福を、分かってるかなぁ? まぁ、すべて、出るからね。舞台には。怖いとこだよな。
『舞踊の天才と称され、歌舞伎の伝統的な「美しい型」を追求し続けることで名人にまで登りつめた富十郎さん。「気力体力共に、これが役者として演じる最後の弁慶。自身の役者人生の集大成にしたい」と強い決意をにじませる。傘寿で臨むこの大舞台に、富十郎さんは60年来の友人である、能の人間国宝、片山九郎右衛門さん(78歳)を京都から招き、協力をあおいだ。二人の人間国宝が練り上げる珠玉の舞台。地方も三味線と長唄を九人ずつ並べる「九丁九枚」や二人の立鼓が舞台に立ち、京都の名人藤舎名生さんが笛を吹くという豪華な鳴物で華を添える。』と、NHKのサイトの説明。
私の父も80才になる。こんな元気な人ではないが、この世代多かれ少なかれ25前に死ぬだろう、と腹を括りつつ十代を過ごした人たちだから、やっぱり、人生における腹の据え方がちょっと違うのかもね。そういえば、手塚治虫も今年誕生80年ですって? この世代が消えたら寂しくなるだろうな…
歌舞伎座と言えば、私にも思い出が。晴海の現場の時の型枠大工の職長さんは、歌舞伎座の破風の型枠を作ったのが自慢だった。飲み会の帰りなぞ、タクシーで歌舞伎座の前を通ると、いつも酔って「あれはコンクリートで出来てるんだ。型枠で作ったんだ」と自慢していた。その歌舞伎座も来年には、解体される。人の命の長さに比べてモノの命の短きことよ。世代を超えて受け継がれるのは、形あるものではないのかも知れない。
建て替え前に見に行こうかな、着物でも着て。
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